古代インカ

モクジ

  ダイイングメッセージ  

 
 さて、僕の話をするとね、不治の病というやつで余命幾ばくかっていう所だったんだ。
 白い病室の白いベッドにずっと寝たきりで、まったく退屈な生活さ。
 でも退屈より厄介なのは毎日のように知らない大人が僕に会いに来るって事だ。
 製薬会社に医療技術促進委員会とか、新興宗教とかそうじゃない宗教とか。僕には誰が誰で、どこがどう違うのかさっぱり分からないんだけど。
 僕に会っては、頑張ってとか負けないでとかあなたの魂はきっと救われますとか勝手放題に言い始める。
 そう言えばプロの野球選手なんて人も来た事があった。みんなが名前を知っているみたいだったから、きっと有名な選手なんだろうね。でもスーツを着てきたから全然分からなかった、僕は普段からテレビなんて見てないんだし。
 その人ね、入ってきていきなり、やけに親しげに「よぉ、元気かい」なんて言うんだ。いつから僕らそんな関係になったんだろうって思ったよ。
「見ての通りさ」って返したら、やけに白い歯をむき出しにして笑ってたな。一応は通じてたって事なのかね。
 それほど広くもない病室なのにテレビ局のカメラとかライトとか集音マイクとかがごちゃごちゃと入ってきてね、それで僕と野球選手の会話風景を撮っていった。
 ご丁寧な事にサインつきのバットとグローブなんか置いていって。僕のためにホームランを打つ、って言ってたけど、結局どうなったのかな。
 そういうのって僕を何かの宣伝に使いたいって事なんだろうね、多分。
 そんな茶番はまっぴらだったから話も聞かずに本を読んでいたけど。
 僕がそういう態度をとっていると大抵の人は一人で喋っているのに飽きてしまうんだろうね、お決まりの挨拶だけ告げてそそくさと帰ってしまう。
 帰りがけにはきつい一瞥を残してね。
 あの目ときたら実に嫌なものさ。目は口ほどに物を言うってのは本当だね。
 言いたいことが聞こえてくるみたいだもの、こんな風に。
 なんて無礼な餓鬼だろう、だが仕方がない、こいつはいつ死ぬかも分からない命なんだからな、なんて。
 そうやって大人の余裕を見せて帰っていくんだ。
 だけどね、僕だって忙しいんだ、やりたい事は沢山あった。ベッドの上で出来る事なんて、たかが知れていたけど。でもベストをつくしたいって思うだろ。
 嘘だ。本当は何とも思ってなかった。
 ただ、途中まで読んでいた本は最後まで読み通したかっただけだ。
 だって、ミステリーの犯人が分からないままで死ぬなんて嫌だろう?
 だから僕は忙しいふりをしていた、どんな大人が来てもね。そうやって毎日ちょっとずつ読んではいたんだけど、なかなか読み進まなかったな。
 昼間は来客も多いし、点滴や回診もある、新聞やテレビの取材だって来るんだ。そんな騒がしい環境で読んでいたって、集中できない。目では文字を追っていても、頭にはちっとも内容が入ってこないんだ。
 おまけに病状が悪化していたのか薬の副作用なのか、頭が始終ぼんやりしていて思考能力が低下しているみたいだった。
 こんなんじゃ犯人の目星もつけようがない。夜だって律儀に消灯の時間を守らないといけないし、もう最悪。
 幸い僕は個室に入院していたから、枕元に備え付けの明かりで夜中にこっそり読んでいたけどね。
 巡回の看護婦さんが来るから、廊下を歩く足音がしたら素早く明かりを消して寝たふりをするんだ。
 時々は見つかって叱られる事もあったけどね、でも僕はいつ死ぬかも知れない病人なんだからさ。
 不安なんです夜も眠れないほど、なんて言っておけば大目に見てもらえるってわけ。
 それに毎日、寝たきりなんだから夜ぐらい起きていたって良いだろう?
 いつかは眠ったきり起きなくなるんだし。
 そういうわけでその日も僕は深夜を過ぎても本を読んでいた。
 もう午前2時をまわった頃だ、病室のドアをノックする音が聞こえた。
 気のせいかと思ったけど次には、はっきり聞こえたんだ。僕の名前を呼んでる声が。
 こんな時間に、誰だろうって思うよね。
 だって面会時間なんかとっくに過ぎているし、看護婦さんの巡回にしては控えめだし。
 僕は小声で、どうぞと言ってやった。ドアに鍵は掛かっていないからね。
 すると音も立てずにそいつは入ってきた。
 いつも白いものばかり見ているから、そいつの服装は目を引いたな。
 真っ黒なんだ、上も下もコートも靴も髪の毛も目の色も全部黒。
 ご丁寧に黒い革手袋まではめちゃってさ。そういうのって流行ってるのかな。
 そいつは部屋の中を見回してから僕に挨拶をした。
「こんばんわ」
「えぇと、誰ですか? 会ったことある?」
「はじめてお目にかかります、死神ともうします」
「そう、ご苦労様。悪いんだけどちょっと待ってくれるかな、この本を読み終えるぐらいは良いでしょう?」
「ごゆっくりどうぞ」
 思ったよりも話せるやつなんだ、昼間の連中よりはね。
 僕は読みながら、ふと思いついて、そいつに聞いた。
「あのさ、もしかして僕ってもう死ぬの?」
「さいです」
 さいです、だって。
 そいつは僕を子供と思って馬鹿にしていたのか、始終そういう話し方をするんだ。
「じゃあさ、最後のお願いだと思って、聞いてくれる?」
「はい、どうぞ」
「僕、まだ遊園地にも動物園にも行った事がないんだ、近所の公園の小さい動物園は見た事があるけど、大きな動物園はまだなんだ。だから連れて行ってくれないかな」
「どちらにですか? それとも両方?」
「そう、両方」
 そいつは考え込んでいたけど、しばらくして言った。
「かしこまりました」
 僕とそいつはこっそり病院を抜け出した。来客用の駐車場にはこれまた真っ黒な車が止まっていた。
 僕は車に興味が無かったから車種なんてまるで分からないけど、でもまぁ気品漂うっていう感じの車だった。
 僕は後部座席に乗って、そいつの運転で発進した。
 道は真っ暗だったし、どこをどう走ったのかは分からないな。
 僕は自宅で倒れて、さっきの病院に運ばれてきてからはずっと入院しっぱなしだった。この辺の地理には疎いんだ。
 車中では大した事は喋らなかったよ。でも、何か喋ってって僕がリクエストしたらね、そいついかにも覚えたて、みたいなジョークを披露してくれた。
 それがまたつまらないのが面白いっていう事があるじゃない? そういう感じでさ。
 久しぶりに笑ったような気がしたな。
 そうしている内に動物園について、これまたこっそりと通用口から入ったんだけどね。
 閉園している動物園っていうのはさ、檻の中に動物なんかいないんだよね。みんな奥に引っ込んでしまう。
 園内をしばらく散歩してたけど、そいつも途中で気が付いたらしくて。
「動物園は夜に来るものではありませんね」
 だってさ。そりゃそうさ。
 僕らは少しベンチに座って、休憩した。
 そいつは僕にコートを貸してくれた。長すぎて引きずるぐらいだったけど、構わないんだってさ。
「私にも子供の頃はありました」
 いきなり話を始めるから、びっくりしたよ。そいつ、前の檻を観ながら、話を続けるんだ。
「子供の頃に遠足で動物園に行ったんですよ。そこで先生が、一番好きな動物を描きなさいって言ったんです。みんなは仲間同士で固まってキリンや象を描いてました。私は一人で、隅っこのベンチに座って、黒豹を描きました。帰ってきてからみんなの絵は教室に張り出されましたけどね、誰も気が付かないんです」
「何に?」
「その動物園には黒豹なんていなかったって事に」
「へぇ」
「動物園には良い思い出がありません」
 そうして僕たちは入るときと同じぐらい慎重にそこを抜け出し、また車で走り出した。
 今度は助手席に乗せてもらった。運転してるそいつの横顔が見たかったんだ。

 それで今度は遊園地についたってわけ。例のごとく人目をはばかりながら中に入った。
 そいつはどこかで電源を入れてきてくれたらしく、真っ暗な園内に突然、色とりどりの電飾がきらめき始めた。
 観覧車にメリーゴーラウンド、ティーカップにローラーコースター。こうして見ると遊園地っていうのは回ってばっかりだね。
 ローラーコースターに乗るには身長が足りなかったしメリーゴーラウンドってほど子供じゃない。
 ティーカップはすぐに気分が悪くなるし、お化け屋敷なんかは下らなくて入る気にもならなかった。
 それよりも僕は気になる事があったしね。
「あのさ、遠い所まで連れてきてもらって悪いんだけど、僕ここで本を読んでいるから、待っててくれるかな?」
「はい、それでは」
 そう言うとそいつは突然ばかみたいな歓声をあげて園内を駆け回り始めた。
 メリーゴーラウンドの馬と競争したり、ローラーコースターに一人で乗ったりしてさ。
 時々こっちを見て手を振ったりしてるんだ、僕は苦笑いのし通しだったね。
 派手な電飾の明かりとおめでたい音楽がかかる中でやっと本を読み終えた頃、あいつはお化け屋敷から戻ってきた。
 大の大人がお化け屋敷に入るなんて、と思って僕は聞いたんだ。
「どうだった?」
「私の友人が働いていました」
「何か話した?」
「いや別に、あんな奴は友人とも思っていませんから」
「変なの」
「変なんです」
「どこら辺が?」
「胸のこの辺りがずきずきと」
「入院した方がいいね」
「もう、手遅れですから」
 なんだかその台詞がとっても冷たく聞こえて、僕は黙ってしまった。
 本も読み終えたし途中で目星をつけていた奴も予想通りに真犯人だった、トリックはちょっと分からなかったけど、まぁ納得はできた。
 最後に読む本としては物足りないけど、ミステリーとしては及第点じゃないかな。
 偉そうな物言いだけど、もうすぐ死ぬ所なんだし、これぐらいは許されるよね。
 僕は本のしおりを抜き出して、そいつに渡した。
「これ、記念品に」
「どうもありがとうございます」
 そいつはそれを大事そうに胸ポケットにしまった。
「そろそろ?」
「そろそろです」
「最後に良いかな?」
「なんですか?」
「あれに乗りたい」
 そう言って僕が指さしたのは巨大な観覧車だった。色とりどりのゴンドラがぐるぐる回る大きな機械。赤、青、緑、黄色、橙色、紫色、黄緑色、そういう順番で回っていた。
「お好きな色に」
 僕は緑色に乗ることにした。そいつも一緒に乗り込んだ。
 好きな色なんだ、緑が。内装はみんな同じなんだけどね。
 ゴンドラは僕らを乗せてゆっくり上がっていった。
 足下に見える遊園地の明かりが徐々に小さくなって、遠くの方には街の明かりが見えた。
 来た時には気が付かなかったけど、海岸沿いに建っている遊園地だったんだ、すぐそばに海が見えた。
 かすかに波の音も聞こえた気がする。潮の香りもしたかも知れない。
 どんどん上がっていくと、明るくなり始めた空には薄紫色の雲がかかっていた。
「ねぇ、友達になってくれる?」
「それはできません」
「じゃあ、恋人に」
「それもできません」
「僕は友情も恋愛も知らないで死んじゃうんだね」
「何を今さら」
 その言葉に僕は思わず吹き出してしまった。
 まったくそうだ、僕らしくなかった。さぁこれからって所で怖じけづいちまったのかもな。
 僕らを乗せたゴンドラは観覧車の頂点に達した所で止まった。
「あれ、どうしたの」
「時間です」
「そういう演出なんだ、悪くないね」
「なにか、最後に希望はありますか?」
 それってどういう意味なのか、ちょっと考えちゃうよね。
 今さら、下に降りる気もしないし、もうやり残した事なんて無いんじゃないかな。
 そりゃ友達も恋人もいないままで死ぬのは寂しいけど。
 だけど死ぬときは一人なんだって考えれば、それは贅沢かなって思う。
 悲しんでくれる家族はいるわけだし。
 こんな所で死んだら、ちょっとした騒ぎにはなるだろうけど。
 でもまぁお涙ちょうだいのニュースにされるよりは、こっちの方がまだましさ。
 入院中の患者、遺体となって観覧車で発見。これってけっこうミステリーだよね? 密室トリックってやつ? ダイイングメッセージでも残しておこうかな、なんて。
「あ、そうだ、何か書く物持ってない?」
 僕は聞いた。いや、ダイイングメッセージなんて本気じゃないよ。
 そいつはやっぱり胸ポケットから万年筆を引き抜いて僕に差し出した。
 持っていた本の中表紙で試し書きをしてみると滑るようになめらか、という訳にはいかないけど、悪くない書き味だった。
 僕は目的を果たすと、万年筆をそいつに返した。
「ありがとう、とても良い万年筆だね」
「父親からのプレゼントです」
「お父さんも同じ職業だったの?」
「はい、祖父の代から続いてます」
「じゃ、頑張ってね」
「あなたも、良い旅を」
 そう言って、そいつは初めて黒い革手袋をはずし、僕と握手した。
 とっても暖かいその手に僕の小さな手は包まれて。
 ちょっと涙がこぼれそうになったけど、頑張ってこらえてみた。
 ゴンドラの窓からは水平線から顔を出すお日様も見られたしね。
 僕はその日の出の光に、吸い込まれていったってわけ。

 さて、死んだ後の話を続けるのもどうかと思うんだけどね。
 僕の持っていた本は図書館に寄贈されることになった。
 その事に関しては、ちょっとした罪悪感があるんだな。
 何かって? それは借りてみれば分かる事さ。
 現代文学コーナーの五番の棚だ、そこの上から二段目、右から八番目の本。
 そう、その緑色の背表紙の。
 だから何かって?
 うーん、やっぱりちょっとしたダイイングメッセージだったのかなぁ。

「誰だい、人物紹介にばかでかく犯人、なんて書いて」

 誰だろうね。
モクジ
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